今日も「ごちそうさま」を言いたい

摂食障害・過食嘔吐歴6年、MEC食と出会う。

私はダメな人間だー

しばらく食事記録は止まるかもです。炭水化物食べたりドカ食いしたりするわけじゃないですが、なんか気力が落ち込んでます。主に父のせいで。

 

なんか三十路近くになって父も何もないと思うんですけど、じゃあ父を「あの男」と言い換えたなら、世間はきっと「父親をそんな風に言うもんじゃない」と言うだろうし。

だからって「あの男」を「父」と言ったら、世間は「その歳になって父のせいにするなんて」って言うだろうし。破綻した親子関係ほどめんどくさいものはない。

あの男のせいでこんなにも落ち込んでいる。

父のせいでこんなにも落ち込んでいる。

この二つは私の中で両立する。世の中は遺伝子だの法律だの規律だの、そういう強迫観念に死にすぎてないかしら。

たまたま父と母の遺伝子が絡まり合って細胞分裂し、永久胞胚になることなく女として生まれてきて(だからって必ずしも男を好きになるとは限らない場合もあっただろうし)、たまたま日本人として生まれてきて、だから全自動で日本近隣諸国と仲が悪くて(私は何もしてないし、何もされてないのに!)、全ての健康に感謝しろと脅されながら、こんなにも長い余生を生きなきゃいけないだけの私だ。嬉しいことを全て投げ出しても良いから辛いことから逃げ出したいだけの私だ。

 

そもそも嬉しいって、どことなく辛くないだろうか。嬉しいって、嬉しいけど、同時にすごく辛い。めちゃくちゃ怖い。だってどうせ奪われたり、いつか無くしたりするじゃない。生まれてきたから生きているけど、死なないから生きたいけど。

大切なものがありすぎるって怖い。ペットを「死んだ時に悲しいから」って言って飼いたくない人の気持ちと一緒かもしれない。それを何もかもに適用しちゃうんだから、私の人生はものすごくうすっぺらいね。

 

アメリカで過ごした四年半を思い出すと死にたくなる。技術で記憶を消せたら良いのに。父の同僚の奥さんも、アメリカに連れてこられて気が狂っちゃった。海外転勤を軽く考えないでほしい。海外に夢を見るのは結構だけど、合わない人は狂っちゃう。観光と住むのは全然違う。表面の湯葉をすくいとって、おいしー!なんてのは、私にもできる。沈殿した濁りカスをすすって吐いて、それでも愛せるほど、私は器用に生きられない。日本にだって器用に生きられないのに。アメリカ生活で得られた大きな価値観のすべてを失っていいから、なにもかもやり直してしまいたい。

 

四年半も住んでおきながら、ちっとも英語を話せなかった自分が嫌い。大嫌い。情けなくて無様で恥ずかしくて、本当に死んでほしいと思う。

英語を話せないのに、国際学科の高校(帰国子女枠ですって。なにその制度?ふざけてんの?なにそれ?)にしか拾ってもらえなかった私が嫌い。

管理栄養士である自分も嫌い。無力なくせに国家資格とか。

過食嘔吐の自分が嫌い。チューブまで辿り着いた化け物なんて死ねばいいと思う。

 

でも、介護士やってる私のことは好き。

介護士楽しいよ。私の今までの人生ぜんぶ消えてもいいから、介護士になれて良かった。私は何回生まれ変わっても、どんな人生を送っても、介護士に行き着くんじゃないかと思う。アメリカ抑留されてもされなくても、今の私とは真逆のギャル系女子になっても、栄養士じゃなくてフリーターとかになっても。私はきっと介護士になる。

 

なんかとめどなく垂れ流してしまいましたが。

 

私は生きてるけど、生きたくない。でも死にたくない。だから生きていく。

 

明日も生きていけますように。